■牧師(教職者)紹介
牧師 坂野 慧吉(
さかの・けいきち )
私は、学生時代に教会に行きました。自分の人生の目的は何かということで悩んでいたのです。礼拝に出席し、宣教師にいろいろと質問し、聖書を学び、神に祈ることを教えてもらいました。そのような中で、私たちを愛してくださる神を信じることができるようになり、「互いに愛し合いなさい」という神のみこころに従って生きることが人生の目的だと分かったのです。
しかし、私自身を見ると、自己中心という罪があり、人を愛し人を赦すことができない硬い心があることを知りました。そしてしばらくしてから、神の御子イエス・キリストが十字架にかかって、私の罪の身代わりに死んでくださったことを信じるようになりました。
それから40年たちました。もちろん、今も完全に神のみこころに従うことができるわけではありません。でも、神は私の人生を導いて、様々な訓練を通して成長させてくださっています。クリスチャンになってよかったと思っています。
略歴
1941年、東京都生まれ。その後、北海道に移住。
福島高校、東京大学卒業。
大学生時代にクリスチャンとなり、大学卒業後、聖書神学舎(現・聖書宣教会)に入学、卒業。
その後、キリスト者学生会(KGK)の主事を経て、1971年より浦和福音自由教会牧師。
東京基督神学校において牧会学を教えている。
「牧会ジャーナル」編集委員長、福祉法人「キングスガーデン埼玉」理事。
主な著作に「新聖書講解シリーズ 創世記」(いのちのことば社)、
「スピリチュアル・ジャーニー」(いのちのことば社)。
副牧師 齊藤 耕( さいとう・こう )
私は、とてもあたたかいクリスチャン家庭に育ちました。16歳のころから自ら聖書を読むようになり、福音の魅力に感動を覚えておりました。その後、是非この福音を人々に伝える者にされたいと思うようになりました。しかし、その思いとは裏腹に青年期にむけて私の思いは、世俗的な欲望を持ち葛藤しておりました。そして、ついには聖書を読むことに辛さを覚え、次第に教会から離れてしまったのです。
しかし、欲望は私の心を満たすことはありませんでした。益々、虚しくなり人生の無意味さを感じるようになりました。「このような生活だったら、例えばあと50年生きようが、5年生きようが、明日死んだとしても何も変わらないのではないか」と思うようになりました。
私は、まったく信仰は失っておりましたが、教会に戻ってきました。「教会にさえ通っていれば私の人生も何とかなるのではないか」と思ったからです。
そして、みことばと教会の方々の愛にふれていく中で、「ここにこそ生きる基盤がある」。「ここに本当の愛がある」と知るようになりました。主とともに歩む人生こそが、もっとも満たされた幸せな人生だと実感しております。
略歴
1971年生まれ。東京都出身。聖契神学校卒業。
クリスチャン・ホームに育つが、20歳ころから教会を離れる。26歳のころに人生に行き詰まりを感じ教会に戻ってくる。約8年間の社会生活を送り、29歳の時に献身し神学校に入る。
伝道師 森
裕子( もり・ゆうこ )
「私は死んだらどこへいくのだろう?」これが、小さい時からの私の一番の疑問でした。高校2年の時、更に「どのような生き方をしても人間は同じ死を迎えるのだろうか?死が最後なら今していることに何の意味があるのだろう?人生は何とむなしいことか。」と考えるようになりました。
私は生きていることに意味を見いだせなくなり、教会に足を運びました。その日教会で初めて聞いた聖書のことばが、私のこころをとらえました。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3章16節)
神様がおられ、その神様が私を愛していてくださるのなら生きて行ける、と思いそれから教会に通い続けました。聖書は私の小さい時からの疑問に見事に答えてくれたばかりではなく、私が神様によって造られた人間として喜んで生きることができるように、助けてくれました。あの時、教会に一歩足を踏み入れて本当に良かったと思っています。
略歴
短大を卒業して、岡山聖心教会附属ひかり幼稚園で2年間幼稚園の教師として働いた後、浦和福音自由教会で4年事務の働きをして、その後伝道師としての務めをするようになり今に至っています。 |