Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2021年5月9日(第19号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :阿部潤也兄
第2礼拝司会 :梅田典晃兄
奏    楽 :三友庸子姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番 (会衆賛美)
祈り
賛美298番 (黙想)
聖書ローマ人への手紙14章1~12節
牧会祈祷牧師
説教私たちは主のもの齊藤副牧師
献金361番 (黙想)
頌栄*賛美歌541番 (会衆賛美)
祝祷*牧師
後奏
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「私たちは主のもの」

副牧師 齊藤 耕 

 信仰によって生きる中で、それぞれの振る舞いが違い、互いにさばいたり見下したりする傾向があった。ある者たちは何を食べても良いと信じていたが、ある者たちは信仰のゆえに肉を食べず野菜を食べ、酒を飲むこともなかった。ここでは、前者を信仰の強い人と言い、後者を信仰の弱い人と言っている。パウロの関心は、両者に優劣をつけることではなく、互いにさばき合わないことであり、何よりも、なぜ互いにさばき合うべきではないのか,である。
 その理由は、第一に「神がその人を受け入れているから」である。第二に、「その人は主のしもべだから」である。第三に、「主がその人を信仰によって立たせてくださるから」である。だから、それぞれは心に確信をもって信仰による態度を決めれば良い。
 肉を食べる者も主のために食べる。食べない者も主のために食べない。神に感謝しているから、そのように判断する。私たちはだれ一人、自分のために生きているのではなく、自分のために死ぬのでもない。生きることも、死ぬことも、主のためである。私たちは主のものだからである。何と嬉しいことだろう!
 それならば、なぜ自分の兄弟をさばくのか。なぜ自分の兄弟を見下すのか。私たちは、一人一人が神に対して生きており、すべての者が神のさばきの座に立つことになるのだから。

9時25分から第1礼拝をライブ配信します。第1礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。(このウィンドウで表示します)


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【5月の暗誦聖句】
人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。 (ローマ人への手紙8章27節)