Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2021年5月30日(第22号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :小室正彦兄
第2礼拝司会 :宮崎雅之兄
奏    楽 :田中美穂姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番 (会衆賛美)
祈り
賛美298番 (黙想)
聖書ローマ人への手紙14章7~9節
牧会祈祷牧師
説教主のために生き 主のために死ぬ
齊藤副牧師
献金361番 (黙想)
頌栄*賛美歌541番 (会衆賛美)
祝祷*牧師
後奏
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「主のために生き 主のために死ぬ」

副牧師 齊藤 耕 

 『私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。』(ローマ14:8)
 私たちの人生のうちにあるすべてのことがらは、神に向かっている。私たちは、神のものであり、神の栄光を現すために生かされているからだ。そして、その目的に従って生きるならば、永遠に神を喜び、満たされた人生を歩むことになる。
 「主のために生きる」とは、私たちの人生の目的を示している。神が私たちに仕えてもらわなければならないということではない。私たちが、神の栄光を現すという目的に従って生きるということだ。この目的を確りと見定めるときに、私たちは、自分の人生において、何をするべきか、何をすることが許されているのか、選定することができる。
 「主のために死ぬ」というみことばは、私たちの人生が、死ぬことにさえ目的を持っているということを教えている。まず、私たちがどのような最期を迎えるかによって、神の栄光を現すことになるからである。しかし、それよりも大きなことは、神がご自身のために、私たちを御もとに召され、ご自身の目的を果たされるということである。
 私たちは、生きるにしても、死ぬにしても、主のものとして、主とともに歩み続ける。

9時25分から第1礼拝をライブ配信します。第1礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。(このウィンドウで表示します)


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【5月の暗誦聖句】
人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。 (ローマ人への手紙8章27節)
【6月の暗誦聖句】
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。 (ローマ人への手紙8章28節)