2021年5月30日(第22号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 小室正彦兄 | |
第2礼拝司会 : | 宮崎雅之兄 | |
奏 楽 : | 田中美穂姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 (会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 298番 (黙想) | |
聖書 | ローマ人への手紙14章7~9節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 主のために生き 主のために死ぬ | |
齊藤副牧師 | ||
献金 | 361番 (黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番 (会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「主のために生き 主のために死ぬ」
副牧師 齊藤 耕
『私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。』(ローマ14:8)私たちの人生のうちにあるすべてのことがらは、神に向かっている。私たちは、神のものであり、神の栄光を現すために生かされているからだ。そして、その目的に従って生きるならば、永遠に神を喜び、満たされた人生を歩むことになる。
「主のために生きる」とは、私たちの人生の目的を示している。神が私たちに仕えてもらわなければならないということではない。私たちが、神の栄光を現すという目的に従って生きるということだ。この目的を確りと見定めるときに、私たちは、自分の人生において、何をするべきか、何をすることが許されているのか、選定することができる。
「主のために死ぬ」というみことばは、私たちの人生が、死ぬことにさえ目的を持っているということを教えている。まず、私たちがどのような最期を迎えるかによって、神の栄光を現すことになるからである。しかし、それよりも大きなことは、神がご自身のために、私たちを御もとに召され、ご自身の目的を果たされるということである。
私たちは、生きるにしても、死ぬにしても、主のものとして、主とともに歩み続ける。