2021年6月13日(第24号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 相馬敏之兄 | |
第2礼拝司会 : | 黒羽 徹兄 | |
奏 楽 : | 臼倉ゆり子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 (会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 298番 (黙想) | |
聖書 | ローマ人への手紙14章13~23節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 「愛によって歩む」齊藤副牧師 | |
献金 | 331番 (黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番 (会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「愛によって歩む」
副牧師 齊藤耕
ローマのクリスチャンたちの間では、互いの考え方の違いを受け入れ合えず、さばいたり、見下したりしてしまうことがあった。その一つの問題は食べ物のことで、ある人たちは、何を食べても良いと考えたが、一方では、野菜しか食べないとする人たちがいた。パウロ自身の考え方は前者である。しかし、最も大切なことは「愛によって歩む」ことで、互いにさばき合わないようにすることであり、むしろ、兄弟の信仰に対して、つまずきとなるようなものを置かないことである。パウロは、『ですから、食物が私の兄弟をつまずかせるのなら、兄弟をつまずかせないために、私は今後、決して肉を食べません。』(Ⅰコリント8:13)と言っている。
もし、食べ物のことで兄弟が心を痛めているなら、もはや愛によって歩んでいないことになる。兄弟の信仰につまずきを与えるならば、その魂に滅びを招くことにもなり得る。キリストが代わりに死んで、愛を示された、その人の魂をである。
『神の国は食べたり飲んだりすることではなく、聖霊による義と平和と喜び』にある。私たちの正義が貫かれる中にあるのではない。キリストによる義があり、神と人との平和があり、その喜びの中にある。「神の国」に生き、また、目指して歩む私たちは、何よりも、神にある平和、互いの霊的成長に役立つことを追い求め続ける者でありたい。