2020年4月5日(第14号) | ||
聖日礼拝 | ||
司会 : | 喜多大樹師 | |
奏楽 : | 神野真理姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
賛美* | 298番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
聖書 | マタイの福音書26章36~46節 | |
説教 | 目を覚まして祈っていなさい | |
齊藤副牧師 | ||
献金 | 142番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「目を覚まして祈っていなさい」
副牧師 齊藤 耕
最後の晩餐を終えられた主イエスと11人の弟子たちは、ゲツセマネの園という場所に来られた。そこは、これまでも彼らが度々来られた祈りの場である。園に入られたとき、主イエスは8人の弟子たちに、「ここにいて、わたしと一緒に目を覚ましていなさい。」と言われた。彼らは、そこにとどまって、心を一つにしていることが必要だったのである。
主イエスは、ペテロとヤコブとヨハネを連れて、更に先に行かれた。そこで、悲しみもだえ始められ、更に一人で少し先に進み、ひれ伏して祈られた。十字架の苦しみを前にして、もだえつつ、父なる神の御心をたずね求めたのである。
弟子たちのところに戻ると、彼らは眠っていた。主イエスは、「あなたがたはこのように、一時間でも、わたしとともに目を覚ましていられなかったのですか。誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」と言われた。弟子たちを襲う誘惑の根底にあるものは、主を否定してしまうこと。主への信頼を忘れさせるものであった。
主イエスは、繰り返し祈り、繰り返し弟子たちに声をかけられた。主イエスご自身にとっても、この祈りは、大きな霊的な戦いであった。しかし、御父の栄光を拝し、その栄光を受ける、最も大切な時を迎えようとしていたのである。
私たちも、主イエスとともに、目を覚まして祈り、神の栄光を仰ぎ見ようではないか。