2020年5月24日(第21号) | ||
聖日礼拝 | ||
司会 : | 齊藤 耕 師 | |
奏楽 : | 臼倉ゆり子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
賛美* | 298番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
聖書 | ヨハネの福音書1章29~34節 | |
説教 | 『私のところへ』喜多副牧師 | |
献金 | 121番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「私のところへ」
副牧師 喜多大樹
第一日、"荒野"で呼ばわる声があった。人々の賑やかさ、華やかさからかけ離れた静寂の場所で「主の道をまっすぐにせよ」と叫んでいる。静けさの中に、神のことばが満ちている。しかし、様々な声が私たちの耳を支配している。強き御声を打ち消すほどの音が私たちを取り囲んでいる。イザヤの"声"は荒漠の大地に退き、すべての人を照らすまことの光を証言する。その翌日、荒野の預言者は自らに向かって来るひとりの姿を認める。祭司やレビ人ではない。パリサイ人たちから遣わされた者でもない。
「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」と洗礼者ヨハネは証言して言う。彼の、この告白/証言は誰に対して語られているのだろうか。おそらくそれは「彼自身」であり、みことばを前にしている「あなた」である。しかしこの証言台には、ヨハネのもとへ向かう主イエスがおられることも見落としてはいけない。「彼自身」と主イエスとの間で。「あなた」と主イエスとの間で確認する一つひとつを見るよう、この日、招かれている。「あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っている(1:26)」と指摘した彼自身が「私自身もこの方を知りませんでした」と告白している。彼は彼自身に語りかけ、自らの「見た」ことを確かめている。今日、私たちは私自身に、主イエスについて何と語りかけたらよいのだろうか。
ヨルダンの川向こうのベタニアにいたヨハネのところへ主イエスが来ようとしている。
第二日が始まる。