2021年5月2日(第18号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 相馬敏之兄 | |
第2礼拝司会 : | 宮崎雅之兄 | |
奏 楽 : | 小澤良子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 (会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 298番 (黙想) | |
聖書 | 詩篇103篇1~5節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | わがたましいよ 主をほめたたえよ | |
牧師 | ||
献金 | 7番 (黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番 (会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「わがたましいよ 主をほめたたえよ」
牧師 坂野慧吉
「わがたましいよ。主をほめたたえよ」という呼びかけで始まり、同じことばで終わるこの詩篇は主の恵みと憐みに満ちた詩篇である。生涯を通して主との交わりを経験したダビデの心からの賛美である。三回にわたって、ダビデとともに主の恵みを味わいたいと思う。ダビデは自分のたましいに呼びかける。「わがたましいよ」と。その「たましい」とは、「私のうちにあるすべてのもの」である。「心」「たましい」「霊」など様々な呼び方があるが、それらは、別々のものではない。ダビデはさらに「主をほめたたえよ」「聖なる御名をほめたたえよ」と続ける。
人間が「神のかたちに」創造された第一の目的は、「主をほめたたえる」ことであった。しかし、アダムとエバは、その使命から離れて自分を「神」とする生き方にそれてしまった。主イエス・キリストによって救われた私たちは、「主をほめたたえる者」に変えられて行くのである。
そのためには、「主が良くしてくださったことを何一つ忘れない」ことが大切である。第一には、主が私たちの罪と咎を赦し、病を癒し、いのちを滅びの穴から救い出してくださったこと、第二に私たちに恵みと憐みの冠をかぶらせてくださったこと、第三には、私たちの一生を良いもので満たし、私たちの若さを鷲のように新しくしてくださることである。
このことを忘れることなく、主に繋がり続けるならば、私たちは常に「主をほめたたえる」ことができるようになる。