2022年3月13日(第11号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 風間岳志兄 | |
第2礼拝司会 : | 五十嵐正俊兄 | |
奏 楽 : | 田中美穂姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番(会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 聖歌623番(黙想) | |
聖書 | マルコの福音書1章14~15節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 「時が満ち 神の国が近づいた」 | |
齊藤副牧師 | ||
献金 | 賛美歌228番(黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番(会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「時が満ち 神の国が近づいた」
副牧師 齊藤耕
バプテスマのヨハネは、時の権力者ヘロデ・アンテパスの罪を指摘し真実を語った為に捕らえられた。その時から主イエスはガリラヤに行き神の国の福音を宣べ伝え始めた。メッセージの中心は、『時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。』である。権力者によって大きな罪が重ねられた「この時」、主イエスは『時が満ちた』と語られた。旧約聖書において示されてきた神の救いのご計画が成就される時に至ったのである。そして、「この時」は福音宣教に備えられた最も相応しい時であった。その一つは、「ローマの平和」(Pax Romana)と言われた時代であったこと。ローマ帝国の支配により地中海沿岸諸国の平和が保たれており、「全ての道はローマに通ず」と言われるほどの素晴らしい道路網があり、コイネーギリシャ語が共通語として普及されていたことは、福音が全世界に宣べ伝えられるために確かな備えとなっていたのである。
さて、『神の国が近づいた』とはどういうことか。「神の国」とは、神の支配があるところを意味する。私たちは“主の祈り”において「御国を来たらせたまえ」と祈るように、今も神の国を待ち望んでいる。それと共に「みこころが天になるごとく、地にもなさせたまえ。」と、この地上においても神のご支配が成るように祈り続けている。
御子イエス・キリストが来られたことにおいて、今、神のご支配が私たちに臨み始めている。『悔い改めて福音を信じる』とは、我が道を進み続けてきた、その方向を転換して、主イエスとともに主の道を、そのご支配の中に歩み始めることである。神の国に生きるために。