2022年6月12日(第24号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 横田 眞兄 | |
第2礼拝司会 : | 宮崎雅之兄 | |
奏 楽 : | 神野真理姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番(会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 聖歌623番(黙想) | |
聖書 | マルコの福音書1章40~45節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 「心を求めて」牧師 | |
献金 | 賛美歌361番(黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番(会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「心を求めて」
牧師 齊藤 耕
ツァラアトは重い皮膚病のようにみられた症状であるが、旧約聖書によると壁や衣服にも認められるので、厳密には何をさしているのか明らかではない。しかし、これが認められたものは汚れたものとされ、本来は隔離されていた。そして、自らツァラアト患者であることを示し『汚れている。汚れている。』と叫ばなければならなかった(参.レビ記13,14章)。そのものに触れると汚れを負うとされていたのだ。そのような症状に悩まされた人が、主イエスのもとに来て懇願した。その言葉は、『お心一つで、私をきよくすることがおできになります。』であった…。懇願したのならば、他にも何か述べたのだろうか。しかし、聖書はそこには触れていない。
主イエスは深くあわれみ、手を伸ばし彼にさわられた。人が彼に触れることはありえないことだった。もしかしたら、もっとも彼を苦しめていたものは、ツァラアトよりも人との関わりが断たれ決して他者から触れられることがない存在にされたことだったのかもしれない。しかし、主イエスは彼にしっかりと触れて、『わたしの心だ。きよくなれ』と言われたのである。
それから、主イエスはツァラアトが癒された彼に、『だれにも何も話さないように…ただ行って、自分を祭司に見せなさい。』と言われた。彼が、人々と共に生きるためである。しかし、彼はこの出来事を言い広めてしまった。
彼の心は何を願い、そして、主イエスの心は何を思われているのだろうか。