2022年7月3日(第27号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 熊谷 剛兄 | |
第2礼拝司会 : | 小澤雅信兄 | |
奏 楽 : | 風間美穂姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番(会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 聖歌623番(黙想) | |
聖書 | マルコの福音書2章13~17節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 「罪人を招くため」牧師 | |
献金 | 賛美歌271B番(黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番(会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「罪人を招くため」
牧師 齊藤 耕
収税所に座っているレビ(マタイ)に、主イエスは、『わたしについて来なさい。』と言われた。すると、レビはそこを『立ち上がってイエスに従った。』のである。主イエスについて行くとは、みことばに聴き従い、主イエスと共に歩み始めることである。最初の弟子たちは、文字通り主イエスと共に歩き、主イエスの行かれるところについて行った。立ち上がらなければ、ついて行くことはできない。「立ち上がる」とは、これまでの生き方を捨てることである。主イエスについて行くとは、人生をみことばに委ねることだ。
さて、主イエスに招かれたレビは、喜びのあまり、主イエスを自宅に招いて、盛大にもてなしをした。そこには他の取税人たちや罪人たちも一緒にいた。主イエスは、これらの人たちと共に食卓についた。すると、パリサイ派の律法学者たちは、「なぜ、あの人は取税人や罪人たちと一緒に食事をするのですか。」と弟子たちに言った。これを聞いて主イエスは、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」と言われたのである。
私たちは、なぜ主イエスに招かれたのだろうか。罪人であることの幸いを思う。否、神のご愛の故に、罪を認められることの幸いを思う。主イエスの十字架と復活の福音のもとに、今日も私たちは主イエスに招かれている。