2022年7月24日(第30号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 横田 眞兄 | |
第2礼拝司会 : | 佐々木孝兄 | |
奏 楽 : | 田中美穂姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番(会衆賛美) | |
祈り | ||
賛美 | 聖歌623番(黙想) | |
聖書 | マルコの福音書2章23~28節 | |
牧会祈祷牧師 | ||
説教 | 「安息日の喜びを共に」牧師 | |
献金 | 賛美歌54番(黙想) | |
頌栄* | 賛美歌541番(会衆賛美) | |
祝祷*牧師 | ||
後奏 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「安息日の喜びを共に」
牧師 齊藤 耕
安息日は、神が初めの六日間で天と地とその中のすべてのものを造り、『…第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。』(新改訳2017,創世記2:2)ことに由来する。神は、この第七日を祝福し聖なるものとされた。後にモーセは十戒において、『安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。…七日目は、あなたの神、主の安息である。』(出エジプト20:8,10)と御民イスラエルに告げられた。さて、ある安息日に、主イエスと弟子たちは麦畑の中を通っておられたが、弟子たちは空腹になり、穂を摘み手でもんで食べ始めた。すると、パリサイ人たちがイエスを非難して「なぜ彼らは、安息日にしてはならないことをするのか。」と言った。それは、麦を収穫し脱穀した労働にあたり、安息日を聖別していないということだ。これに対して、主イエスは旧約聖書に出て来る一場面を引用し、人間のためには、律法の規則に優先しても、神は必要を与えられると教えられた。そして、『安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません。』と言われたのである。
今日では、主イエス・キリストが復活された日曜日を私たちは安息日としている。この日を聖別し神のもとに集い、礼拝をささげ、真の安息へと導かれる。やがて、キリストにあって永遠の安息に招かれる希望を一日一日と深めながら。