Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2023年9月3日(第36号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :熊谷 剛兄
第2礼拝司会 :栗原 誠兄
奏    楽 :小室陽子姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
交読文ヨハネの福音書15章1~12節
賛美*1番
牧会祈祷牧師
賛美*262番
聖書マルコの福音書8章34節~9章1節
説教「自分の十字架を負って」牧師
献金331番
頌栄*541番
祝祷*牧師
後奏
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「自分の十字架を負って」

牧師 齊藤 耕 

 主イエスは、ご自身の「苦難と栄光への道」を示された後、弟子たちと一緒に群衆をも呼び寄せて、ご自身に従われる者の覚悟を教えられた。
「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」
 主イエスと共に行く道は、誰にでも開かれている。主イエスに従い共に歩むか、従わずに我が道を行くかは、主体的な決断によって選び取るものである。信仰は決断であると私は思う。愛の神の御手に委ね、人生をささげることである。
 「自分を捨てる」ということは、自分の人生を、自分のものとして生きることを放棄することである。しかし、むしろ積極的な生き方である。自分の欲望に縛られず、自己実現に囚われない自由がある。その人生は、主イエスのものである。
 「自分の十字架を負う」とは、十字架刑に処せられる死刑囚が、自分がかけられる十字架の横木を担ぎ刑場まで歩く姿に見る。その囚人のように、死を覚悟して生きよということである。ここにはむしろ生きよというメッセージがある。主イエスの苦難と栄光の十字架を思いながら、自分に与えられた福音の使命を負って生きることである。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【9月の暗誦聖句】
永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。(ヨハネの福音書17章3節)