2025年6月1日(第22号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 栗原 豊兄 | |
第2礼拝司会 : | 風間岳志兄 | |
奏 楽 : | 田中美穂姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
使徒信条 | 週報をご参照ください | |
賛美* | 11番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 310番 | |
聖書 | イザヤ書56章1~8節 | |
説教 | 『あらゆる民の祈りの家』牧師 | |
献金 | 502番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
報告 | ||
後奏 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「あらゆる民の祈りの家」
牧師 齊藤 耕
イザヤ書56章はバビロン捕囚期以後を想定して、神の民に預言のことばが与えられている。それは、全世界的な救いの約束である。神の民がバビロン捕囚から解放されエルサレムに戻ると、神殿は破壊され、その地は荒廃していた。民の信仰は以前と変わらず枯渇している。
その様な中に、主のことばが語られた。「公正を守り、正義を行え。わたしの救いが来るのは近いからだ。わたしの義が現れるのも。」
その救いの恵みの中にあり、「安息日」を守り、どんな悪事からも離れて生きる者は、幸いである。それは、「主に連なる」すべての人に開かれていた。宦官や異国の民も含まれている。彼らが、「主に連なる」ならば、宦官たちには永遠の名が与えられ、異国の民のささげ物は、主の祭壇の上で受け入れられるのである。「なぜならわたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。」と主は言われた。
*
かつては異邦人であり、神の約束の契約について他国人で、この世にあっては望みがなく、神もない私たちだった。しかし、キリストの福音によって、この救いの恵みが、今日の私たちにも及んでいる。
そして私たちは、「すでに集められた者たちに、わたしはさらに集めて加える。」と語られる主のみことばを、ここに聴いている。