Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2025年6月8日(第23号)
聖霊降臨節礼拝
第1礼拝司会 :横田 眞兄
第2礼拝司会 :坂井邦雄兄
奏    楽 :風間美穂姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
交読文ヨハネの福音書15章1~12節
賛美*312番
牧会祈祷牧師
特別賛美聖歌574番聖歌隊
聖書ルカの福音書24章26~29節
説教牧会的説教による魂の配慮坂野師
献金499番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
後奏
(*の部分はご起立下さい。)

「牧会的説教による魂の配慮」

協力牧師 坂野慧吉 

 「説教で牧会ができるか」という質問をいただいたことがある。それに対して私は、「できます」と答えたいと思う。牧師が、信徒の方々に対して一番多く接するのは、礼拝における祈りと説教であると考えているからである。しかし、現実には、そんなに簡単なことではない、と感じている。「牧会」とは、「心と心の対話」であり、説教も「みことばを中心とした説教者と会衆の対話」だからである。しかし、説教が説教者から会衆への一方的な話になった場合、それは「教育」にはなるであろうが、「対話」にはならない。説教者は、説教に「間」を置き、その瞬間に聖霊によって、会衆の「声なき声」を聴き、そして主が聖霊によって語られる「神の声」を会衆に届けることによって、「みことば」を中心とした「対話」に入ることができるのである。
 これは、決して一朝一夕にできることではない。「声」に耳を傾ける訓練がなされなければ、実現しないのである。第一に黙想の内に、「神の声」を聴く。聖書を「理解する」ことで満足するのではなく、静まって「みことばを通して」神の声に耳を傾けるのである。第二に「自分の心の声」に耳を傾けることが必要である。そして第三に「相手の声」に耳を傾けることである。このような時に初めて、説教において「聴きつつ語る」ことが可能になり、対話的な説教が成り立つのである。つまり「牧会的な」説教になるのである。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【6月の暗誦聖句】
そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」(使徒の働き 2章38節)