2025年7月20日(第29号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 横田 眞兄 | |
第2礼拝司会 : | 天野大樹兄 | |
奏 楽 : | 神野真理姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
使徒信条 | 週報をご参照ください | |
賛美* | 66番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 310番 | |
聖書 | ルカの福音書24章28~31節 | |
説教 | 「目が開かれた弟子たち」坂野師 | |
献金 | 355番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
報告 | ||
後奏 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「目が開かれた弟子たち」
協力牧師 坂野慧吉
エマオの村に着き、二人の弟子たちは主イエスに切に勧めた。「一緒にお泊りください。そろそろ夕刻になりますし、日もすでに傾いております。」彼らがこのように熱心に強く勧めたので、主イエスは彼らとともに泊まるためにその家に入られた。その家が誰の家であったかは、聖書には記されていない。やがて夕食の準備がなされて、主イエスと弟子たちは食卓に着いた。すると主イエスはそこに用意されたパンを取り、神をほめたたえて、そのパンを祝福し、パンを裂いて彼らに渡された。通常、食事の始まりに、祈りをささげ、パンを祝福し、それを食卓に着いている人々に分かち与えるのはその家の主人である。しかし、この時は主イエスがその役割を果たされた。
するとその時、二人の弟子たちの目が開かれて、自分たちの目の前におられるのが、「イエスだ」と分かった。
このエマオの食事が、「聖餐式」であったかどうかは明確ではないが、この食事の時に、弟子たちの目が開かれたのは、どうしてなのだろうか。この弟子たちが、少なくとも主イエスとともに、何回も食事をともにしたことは確かであり、その「出来事」がこのときに再現されたこと、そしてその中で、彼らの目が開かれたことは確かである。
主イエスは、この直後、この弟子たちの前から姿を消されたのである。