Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2025年7月27日(第30号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :熊谷 剛兄
第2礼拝司会 :黒羽 徹兄
奏    楽 :小室陽子姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
交読文ヨハネの福音書15章1~12節
賛美*11番
牧会祈祷牧師
賛美*310番
聖書詩篇42篇1~5節
説教「神を待ち望め」牧師
献金270番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
後奏
(*の部分はご起立下さい。)

「神を待ち望め」

牧師 齊藤 耕 

 詩人にとって、『鹿が谷川の流れを慕いあえぐ』様子とは、どのようなものだろう。日本の風景とは違う。そこは、砂漠地帯である。目をうつろにし、今にも倒れそうな鹿の姿に、詩人は自分のたましいの渇きと重ねる。いのちに係わる渇きだ。
 彼は、自分自身に問いかける。『わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。』
 彼は、主なる神と遠く引き離されていた。あるいは、自らが神を遠ざけてしまったのだろう。
 エルサレムから遠く離れ、異邦人たちに囲まれ、「おまえの神はどこにいるのか」という声が絶えず彼に迫ってきた。世においては内に外に戦いがある。人間も弱肉強食の世界に身を置いている。孤独な戦いの中で、自分自身でも「私の神はどこにいるのか」と迷う。
 かつては、喜びと感謝の声をあげて、神に礼拝をささげていたことを思い起こす。多くの兄姉と一緒に神の家に向かって歩んでいた。信仰生活は霊性の旅である。試練の中でも神の恵みがあった。そして、賛美と祈りがあった。しかし、今は神と遠く離れていた。その心が神と遠く離れていた。
           *
 詩人は、『わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私のうちで思い乱れているのか。』と自問する中で、自らの渇きが神への渇きであったことを知っていく。そして、内なるものが、『神を待ち望め。』と自らを励ます。そこに、私の救いがあると確信して。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【7月の暗誦聖句】
鹿が谷川の流れを慕いあえぐように
神よ 私のたましいはあなたを慕いあえぎます。(詩篇42篇1節)
【8月の暗誦聖句】
ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(コリント人への手紙第二 5章17節)