Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2025年8月3日(第31号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :臼倉和弘兄
第2礼拝司会 :佐々木孝兄
奏    楽 :風間美穂姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
主の祈り週報をご参照ください
賛美*68番
牧会祈祷牧師
賛美*310番
聖書マルコの福音書16章1~8節
説教「恐れの先にあるもの」牧師
献金148番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
後奏
(*の部分はご起立下さい。)

「恐れの先にあるもの」

牧師 齊藤 耕 

 安息日が終わり、女の弟子たちは主イエスが納められた墓に行った。遺体に油を塗り、丁寧に葬りたいと思ったからだ。しかし、墓は大きな石で閉じられていたので、その石をどうすればよいか、彼女たちは話し合っていた。自分たちの力では、どうすることも出来なかったからである。
 ところが、墓に着くと、大きな石は既に動かされ、墓は開いていた。中に入ると、真っ白な衣を着た青年が座っていたので彼女たちは非常に驚いた。青年は主の使いである。主が大きな石を動かされたのだ。青年は言った。「驚くことはありません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。…弟子たちとペテロに伝えなさい。『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』と。」
 しかし、彼女たちは、気も動転し、そこから逃げ、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。
 著者マルコ自身の執筆は、ここで終わっている。不思議な終わり方だが、福音に直面した者の「恐れ」に注目している。遺体に油を塗る目的は果たされなかったが、彼女たちは、死の先にあるものに直面した。それは、単純に喜び、軽口に人に話せるようなことでなかった。しかし、紛れもなく彼女たちは、真理に直面していた。死の先にあるものを見ていたのである。
 主よ 感謝します。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【8月の暗誦聖句】
ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(コリント人への手紙第二 5章17節)