Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2025年8月24日(第34号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :栗原 豊兄
第2礼拝司会 :天野大樹兄
奏    楽 :田中美穂姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
交読文ヨハネの福音書15章1~12節
賛美*533番
牧会祈祷牧師
賛美*310番
聖書コリント人への手紙第二
5章16~21節
説教「すべてが新しく」牧師
献金271番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
後奏
(*の部分はご起立下さい。)

「すべてが新しく」

牧師 齊藤 耕 

 『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』
 ここに福音がある。だれでも、どんな人間でも、キリストに出会い、キリストとともに生きるならば、その人は新しく創造され、新しい人生を歩む。古い価値観や生き方から離れ去り、すべてが新しくなる。
 しかし、これらのことはすべて神から出た。人が新しく造りかえられることは、人間のなせることではない。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、なお和解の務めを与えてくださった。
 使徒パウロ自身も、かつては神に背く者であり、キリストを迫害する者として生きていた。しかし、ダマスコ途上で、よみがえられた主イエスに出会い、まったく新しい者とされた。それから、彼の人生は、自分のために生きるのではなく、自分の罪のために十字架に死んで、よみがえられたキリストのために生きるものとなった。
 今ここで、使徒パウロは、キリストに代わる使節としてコリントの兄姉たちに迫る。その眼差しは、かつての肉に従って人を知るようなものではない。自分自身がキリストにあって赦され、ありのままの自分が神に知られ、なおキリストの愛に捕らえられている者としての愛に満ちた視線であった。そして、『神と和解させていただきなさい。』と語った。ともにキリストに仕えて生きるために。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【8月の暗誦聖句】
ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(コリント人への手紙第二 5章17節)