2025年8月24日(第34号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 栗原 豊兄 | |
第2礼拝司会 : | 天野大樹兄 | |
奏 楽 : | 田中美穂姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
交読文 | ヨハネの福音書15章1~12節 | |
賛美* | 533番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 310番 | |
聖書 | コリント人への手紙第二 | |
5章16~21節 | ||
説教 | 「すべてが新しく」牧師 | |
献金 | 271番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
報告 | ||
後奏 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「すべてが新しく」
牧師 齊藤 耕
『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』ここに福音がある。だれでも、どんな人間でも、キリストに出会い、キリストとともに生きるならば、その人は新しく創造され、新しい人生を歩む。古い価値観や生き方から離れ去り、すべてが新しくなる。
しかし、これらのことはすべて神から出た。人が新しく造りかえられることは、人間のなせることではない。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、なお和解の務めを与えてくださった。
使徒パウロ自身も、かつては神に背く者であり、キリストを迫害する者として生きていた。しかし、ダマスコ途上で、よみがえられた主イエスに出会い、まったく新しい者とされた。それから、彼の人生は、自分のために生きるのではなく、自分の罪のために十字架に死んで、よみがえられたキリストのために生きるものとなった。
今ここで、使徒パウロは、キリストに代わる使節としてコリントの兄姉たちに迫る。その眼差しは、かつての肉に従って人を知るようなものではない。自分自身がキリストにあって赦され、ありのままの自分が神に知られ、なおキリストの愛に捕らえられている者としての愛に満ちた視線であった。そして、『神と和解させていただきなさい。』と語った。ともにキリストに仕えて生きるために。