2025年9月28日(第39号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 小室正彦兄 | |
第2礼拝司会 : | 風間岳志兄 | |
奏 楽 : | 小室陽子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
使徒信条 | 週報をご参照ください | |
賛美* | 67番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 310番 | |
聖書 | 詩篇19篇 1~14節 | |
説教 | 「神を知る喜び」牧師 | |
献金 | 501番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
報告 | ||
後奏 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「神を知る喜び」
牧師 齊藤 耕
詩人は、天を見上げて神の臨在を知る。美しく、果てしない大空が、神の栄光と御手のわざを語る。『神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。』(ローマ1:20)*
被造物を通して、自分も神の御手の中に抱かれていることを知る。神の偉大さを知るとともに、自分が小さく弱いものであることを知る。しかし、卑屈な思いではなく平安がある。
なお、神を思うときに、そのみことばの語りかけを聴く。その完全さ、確かさ、正しさ、清らかさ…。みことばは、たましいを生き返らせ、浅はかな者を賢くし、心に喜びを与え、人の目を明るくする…。詩人は、みことばを、多くの富よりも慕い求めた。『神と富とに仕えることはできません。』(マタイ6:24)
*
神を知る喜びは、自分の本当の姿に直面することでもある。しかし、自分の姿を神の前に隠したい思いがある。自分でも気づかず隠れていることもある。「傲慢」という私の性質が、神をしりぞけ、また、神の前から自分を隠している。
詩人は、神を知る喜びを味わいつつあるなかで、そのような罪から解き放たれることを祈り求める。そして、『主よ わが岩 わが贖い主よ。』と神の救いを求める信仰が確かになっていく。