2025年10月19日(第42号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 熊谷 剛兄 | |
第2礼拝司会 : | 風間岳志兄 | |
奏 楽 : | 小室陽子姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
賛美* | 234番A | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 310番 | |
聖書 | コリント人への手紙第二 5章18~21節 | |
説教 | 和解の福音を宣教する使節坂野師 | |
聖餐式 | ||
献金 | 181番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
報告 | ||
後奏 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「和解の福音を宣教する使節」
協力牧師 坂野慧吉
「私たちは、キリストに代わって願います。神と和解させていただきなさい。」(コリント人への手紙第二 5章20節)イエス・キリストの十字架は、神がキリストにあってこの世をご自分と和解させた、和解の業である。そのために、「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって、神の義となるためです。」(同21節)
現代は、「分断」の時代です。それぞれが自分のことを第一に考えています。それぞれの民族、国家が「自国第一主義」を高らかに主張して恥じることがありません。人々もそれが「当然だ」と賛成します。
しかし、考えてみてください。もし、それぞれの民族、国、人々が自分の利益のみを考えて行動するならば「戦争」になります。そして力のある者、富んでいる者が勝利を得、自分の利益のために行動し、他者を利用する対象としてしか考えられなくなります。
もし、神がご自分のことだけを考えていたら、キリストをこの世に送ることはしなかったでしょう。「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは、御子を信じる者が一人として滅びることなく永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3章16節)
神は、神に背き、自己中心の罪に走っている私たちを愛してくださり、その罪を赦すためにキリストを与えてくださったのです。それは私たちがキリストにあって互いに愛し合うためなのです。