Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2025年11月9日(第45号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :小室正彦兄
第2礼拝司会 :黒羽 徹兄
奏    楽 :小澤良子姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
使徒信条週報をご参照ください
賛美*121番
牧会祈祷牧師
賛美*310番
聖書ヨハネの福音書3章16節
説教「神は実にそのひとり子を」坂野師
献金138番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
後奏
(*の部分はご起立下さい。)

「神は実にそのひとり子を」

協力牧師 坂野慧吉 

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じるものが、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3章16節)
 聖書の中の聖書と言われるこのみことばを、最近特に深く味わい、「神の愛」を実感している。
 聖書は、「神は愛です。」と述べている。神の本質が「愛」であり、愛の本質は「交わり」である。つまり、唯一の神であり、「父」「御子」「御霊」の三人格の交わりにおいて存在される神である。
 その神が、「世を愛された」のである。「世」とは、神によって創造されたにも関わらず、悪魔の誘惑に負けて、罪を犯して神に敵対している人間である。神は、愛であるとともに、義である。罪を憎み罪に敵対するお方である。
 義なる神が、罪の世を愛する時、そこに生まれるのが「神の痛み」である。神は「痛み」の内に世を愛するのである。そして、その「痛み」の極みが、御子イエス・キリストの十字架なのである。
 「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」(ローマ人への手紙5章8節)

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【11月の暗誦聖句】
教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。(エペソ人への手紙1章23節)