Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2025年12月21日(第51号)
クリスマス礼拝
第1礼拝司会 :小室正彦兄
第2礼拝司会 :佐々木孝兄
奏    楽 :風間美穂姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
賛美*95番
牧会祈祷牧師
賛美*310番
聖書ヨハネの福音書 1章14~18節
説教「ことばが肉となった」牧師
聖餐式
献金111番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
後奏
洗礼式(第2礼拝後)
(*の部分はご起立下さい。)

「ことばが肉となった」

牧師 齊藤 耕 

 永遠の初めから存在したことば。父なる神とともにおられ、すべてのものはことばによって造られた。ことばは神であった。
 『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。』「人となって」の直訳は、「肉となって」である。敢えて、「人」という言葉を使わず、「肉」という粗野な言い方で、神が人になられたということを生々しく語る(受肉否定の仮現論者を一蹴)。実際に、 12弟子の一人であった使徒ヨハネは、この方を見た。その声を聞き、手で触れるほどに、この方とともに過ごした。『私たちの間に住まわれた』のである。それは、「私たちの間に幕屋を張った」という意味。荒野を旅した歴史を持つイスラエルの民にとって、「会見の幕屋」を思い起こす言葉である。そこに、神の栄光が現れた。
 ヨハネは『私たちはこの方の栄光を見た』と語る。父なる神のもとから来られたひとり子としての栄光である。すなわち、御子イエス・キリストによって現わされた栄光の姿。恵みとまことに満ちていた。そこには、様々な奇跡がある。そして、主イエス・キリストの肉が十字架につけられ、血が流された。いのちがささげられたのである。そして、三日目によみがえられた。
 『この方は恵みとまことに満ちておられた』キリストの十字架は、偽りを赦さない神の真実まことと、人の弱さに寄り添い、その罪を赦す限りない愛が、実現したところである。ここに愛がある。この福音のために、神の御子は人となられ、私たちのところに来てくださった。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。このページと音声ファイルとは、公開日時が同じではないため、再生操作しても音声データが得られず再生されない場合があります。その場合は後日再度、操作を試みてください。


【12月の暗誦聖句】
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(ルカの福音書2章11節)