| 2025年12月21日(第51号) | ||
| クリスマス礼拝 | ||
| 第1礼拝司会 : | 小室正彦兄 | |
| 第2礼拝司会 : | 佐々木孝兄 | |
| 奏 楽 : | 風間美穂姉 | |
| 前奏 | ||
| 招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
| 賛美* | 539番 | |
| 祈り | ||
| 賛美* | 95番 | |
| 牧会祈祷牧師 | ||
| 賛美* | 310番 | |
| 聖書 | ヨハネの福音書 1章14~18節 | |
| 説教 | 「ことばが肉となった」牧師 | |
| 聖餐式 | ||
| 献金 | 111番 | |
| 頌栄* | 541番 | |
| 祝祷*牧師 | ||
| 報告 | ||
| 後奏 | ||
| 洗礼式(第2礼拝後) | ||
| (*の部分はご起立下さい。) | ||
「ことばが肉となった」
牧師 齊藤 耕
永遠の初めから存在したことば。父なる神とともにおられ、すべてのものはことばによって造られた。ことばは神であった。『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。』「人となって」の直訳は、「肉となって」である。敢えて、「人」という言葉を使わず、「肉」という粗野な言い方で、神が人になられたということを生々しく語る(受肉否定の仮現論者を一蹴)。実際に、 12弟子の一人であった使徒ヨハネは、この方を見た。その声を聞き、手で触れるほどに、この方とともに過ごした。『私たちの間に住まわれた』のである。それは、「私たちの間に幕屋を張った」という意味。荒野を旅した歴史を持つイスラエルの民にとって、「会見の幕屋」を思い起こす言葉である。そこに、神の栄光が現れた。
ヨハネは『私たちはこの方の栄光を見た』と語る。父なる神のもとから来られたひとり子としての栄光である。すなわち、御子イエス・キリストによって現わされた栄光の姿。恵みとまことに満ちていた。そこには、様々な奇跡がある。そして、主イエス・キリストの肉が十字架につけられ、血が流された。いのちがささげられたのである。そして、三日目によみがえられた。
『この方は恵みとまことに満ちておられた』キリストの十字架は、偽りを赦さない神の真実と、人の弱さに寄り添い、その罪を赦す限りない愛が、実現したところである。ここに愛がある。この福音のために、神の御子は人となられ、私たちのところに来てくださった。