| 2025年12月28日(第52号) | ||
| 聖日礼拝 | ||
| 第1礼拝司会 : | 栗原 豊兄 | |
| 第2礼拝司会 : | 風間岳志兄 | |
| 奏 楽 : | 峯 弥生姉 | |
| 前奏 | ||
| 招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
| 賛美* | 539番 | |
| 祈り | ||
| 交読文 | ヨハネの福音書15章1~12節 | |
| 賛美* | 11番 | |
| 牧会祈祷牧師 | ||
| 賛美* | 310番 | |
| 聖書 | 詩篇62篇1~12節 | |
| 説教 | 「黙って 神を待ち望む」牧師 | |
| 献金 | 338番 | |
| 頌栄* | 541番 | |
| 祝祷*牧師 | ||
| 報告 | ||
| 後奏 | ||
| (*の部分はご起立下さい。) | ||
「黙って 神を待ち望む」
牧師 齊藤 耕
『私のたましいは黙って ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそ わが岩 わが救い わがやぐら。私は決して揺るがされない。』(1~2)このみことばは、少し形を変えて、5~6節で繰り返されている。5節では、『私のたましいよ 黙ってただ神を待ち望め。』と自分自身に語り掛けている。「黙って」という言葉は、1節では名詞だが、5節では動詞の命令形となっている。すなわち、「私のたましいよ 黙っていなさい。(沈黙せよ!)」である。そうあれない、自分を知り、自分自身のたましいに語り掛けている。
「黙って」いることは、ただ受け身でいることではない。そこには、へりくだる姿勢と信頼がある。黙って、神の語り掛けに心を向け、みことばに聴き従う覚悟がなければ、そのような姿にはなれない。
*
3~4節では、詩人の心は、自分に敵対する人々に奪われていた。人々は、こぞって私を襲い、倒れかけている私を突き落とすように。口では祝福するが、心では呪いながら。しかし、7節では、詩人の心は神に向かっている。そして、自分の救いも栄光も、神によってあることを告白する。更に、詩人(ダビデ王)は、『民よ どんなときにも神に信頼せよ。』と励ましのことばを述べている。
詩人は、「黙って」神を待ち望む中で、人は恐れるに足りないものであることを知る。世の富や強さも心を留めるべきものではないことを。力は神のものであり、恵みは、ただ神によって与えられることを知っていく。
『神こそ わが岩 わが救い わがやぐら。』である。『私は揺るがされることがない。』 アーメン