| 2026年3月22日(第12号) | ||
| 聖日礼拝 | ||
| 第1礼拝司会 : | 栗原 豊兄 | |
| 第2礼拝司会 : | 天野大樹兄 | |
| 奏 楽 : | 風間美穂姉 | |
| 前奏 | ||
| 招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
| 賛美* | 539番 | |
| 祈り | ||
| 使徒信条 | 週報をご参照ください | |
| 賛美* | 187番 | |
| 牧会祈祷牧師 | ||
| 賛美* | 298番 | |
| 聖書 | マルコの福音書4章1~23節 | |
| 説教 | 「聞く耳のある者は聞け」坂野師 | |
| 献金 | 365番 | |
| 頌栄* | 541番 | |
| 祝祷*牧師 | ||
| 報告 | ||
| 後奏 | ||
| (*の部分はご起立下さい。) | ||
「聞く耳のある者は聞け」
協力牧師 坂野慧吉
主イエスが語られた「種まきのたとえ」は、「蒔かれた種と土地のたとえ」である。イスラエルの地での「種まき」は、絵にあるように種を「蒔いた」のである。そのため、種は様々な土地に落ちた。
道端に落ちた種は鳥が来て食べてしまい、岩地に落ちた種は、すぐ芽を出したが、日が昇るとしおれてしまい、茨の中に落ちた種は、茨が伸びて塞いでしまったので、実を結ばなかった。
しかし、良い地に落ちた種は、芽生え育って実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。
「種」は「みことば」であり、様々な土地は「わたしたちの心」である。「神のことば」は生きている。しかし、「神のことば」を聞く人の心によって違った結果が出て来る。
私たちの心が、初めから「良い地」であるわけではない。様々な試練を通して砕かれ、失敗を通して茨が刈り取られ、みことばを聞き続ける中で、心が柔らかにされて行く。「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。」(へブル人への手紙4章12節)
主イエスは「聞く耳のある者は聞け」と叫ばれる。