2024年1月28日(第4号) | ||
聖日礼拝 | ||
第1礼拝司会 : | 横田 眞兄 | |
第2礼拝司会 : | 阿部潤也兄 | |
奏 楽 : | 峯 弥生姉 | |
前奏 | ||
招詞* | 詩篇100篇1~5節 | |
賛美* | 539番 | |
祈り | ||
主の祈り | 週報をご参照ください | |
賛美* | 2番 | |
牧会祈祷牧師 | ||
賛美* | 313番 | |
聖書 | マルコの福音書10章1~12節 | |
説教 | 「結婚の奥義」牧師 | |
献金 | 191番 | |
頌栄* | 541番 | |
祝祷*牧師 | ||
報告 | ||
(*の部分はご起立下さい。) |
「結婚の奥義」
牧師 齊藤 耕
夫が妻を離縁することは、律法にかなっているのかとパリサイ人たちは主イエスを試して質問した。申命記24章1節を見ると「離縁状」を書いてその女の手に渡すならば、彼女を家から去らせてよいと理解することができる。しかし、主イエスはここで、律法の真意を教えられた。「モーセは、あなたがたの心が頑ななので、この戒めをあなたがたに書いた。」「しかし、創造のはじめから、神は彼らを男と女に造られました。『それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる』のです。ですから、彼らはもはやふたりではなく、一体なのです。こういうわけで、神が結び合わせたものを、人が引き離してはなりません。」すなわち、離縁することは神のみこころではないと教えられたのである。
現実に結婚生活を継続させることが困難になることは、昔も今も同じようにあり得ることであった。そこで、律法はあわれみ深い配慮をも示している。夫婦が一生の間、添い遂げることができるならば、感謝なことであり、豊かな恵みを経験するだろう。既に離婚しているならば、きっとそこに学ぶことは大きい。謙遜にされ、人の悲しみに寄り添える者となるのかもしれない。
神は人をご自身のかたちとして創造し、愛の交わりに生きるように、男と女に創造された。結婚をとおして、愛の神の豊かさを知ることができるように。
更に、使徒パウロは、キリストと教会(私たち)を、夫と妻の関係として述べている。(エペソ5:31,32)この奥義は偉大である。