Urawa Evangelical Free Church すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイの福音書11章28節
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2024年2月4日(第5号)
聖日礼拝
第1礼拝司会 :小室正彦兄
第2礼拝司会 :尾崎 証兄
奏    楽 :小澤良子姉
前奏
招詞*詩篇100篇1~5節
賛美*539番
祈り
使徒信条週報をご参照ください
賛美*7番
牧会祈祷牧師
賛美*313番
聖書マルコの福音書10章13~16節
説教「子どものように」牧師
献金461番
頌栄*541番
祝祷*牧師
報告
(*の部分はご起立下さい。)

「子どものように」

牧師 齊藤 耕 

 主イエスは、『子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません』と言われた。子どものままでいるようにと言われたのではない。子どものようになることを求められた。 
 使徒パウロは、『…考え方において子どもであってはいけません。悪事においては幼子でありなさい。けれども、考え方においては大人になりなさい。』と言っている。すなわち、キリスト者として成熟した大人になり、その上で自らの選択によって子どものように神の国を受け入れるのだ。
 「子どものように」とは、何を意味しているのか。子どもの心は純粋で素直なのだろうか。そうではない。子どもも罪を負っており自己中心で我がままだ。むしろ、成熟しておらず、あらゆる面で弱い器だ。しかし、その弱い器だからこそ、差し出された愛を受け入れることができる。差し出された愛を受け入れなければ、自分は生きられない弱さがあることを知っている。主イエスは、そのような子どもの姿をご覧になられていたのではないだろうか。
 私たちは魂において、子どものように弱い器であることを知らなければならない。あるいは、私たちの肉体において、現実的に弱さが表れてくる中で、主の御前にぬかずくことしかできない自分の弱さに気が付かされるのかもしれない。そこに、主の祝福の御手が触れてくださることを信じている。

11時25分から第2礼拝をライブ配信します。第2礼拝終了後はその動画(録画)をご覧になれます。


説教の音声をお聞きになれます。
音源(音声ファイル)は上の映像とは別のものです。


【2月の暗誦聖句】
どのようにして若い人は 自分の道を 清く保つことができるでしょうか。あなたのみことばのとおりに 道を守ることです。(詩篇119篇9節)